前回の続きで昔話です。
出版社を辞めたあと、6年ほどフリーライターをやっていました。旧リブロワークスの立ち上げが2008年なので、その6年前となると2002年。計算して、そんな前の話だったかと自分でも軽く驚いてしまいました。まだ、スマホもSNSもない時代です。
フリーライター時代はあまりいい記憶がないというか、ブラックホールのように記憶が不明瞭です。おそらくずっと同じような日が続いたので、要約すると「アパートにこもって原稿書いてました、終わり!」になってしまうからでしょう。
食えなかったということはないです。当時はIT書を1冊書き下ろしたら初版保証印税が70万ぐらいもらえたので、年に4~6冊ほど書けば暮らしていくことはできました。最初の1冊目はそこそこ時間がかかり、その間貯金が減っていくだけなので「船底一枚下地獄」的な恐怖はありましたが、そこから先はツテのある出版社の担当者さんから依頼をもらって打ち合わせ、そのあと2~3カ月こもって原稿書いて、印税もらう……をコンスタントに繰り返していました。当時はIT書の書き下ろし専門ライターだけでも十分食っていけたのです(今だとたぶん無理ですね)。雑誌は合わなくて1回ぐらいしか書いたことがないです。
整理すると、フリーランスをしていて自分的によかったことは、「文章をゼロから書けるようになった」ことと、「自分の原稿を無限に煮詰められる」ことの2つでしょうか。
出版社ライター時代はアプリ操作図解しか書いたことがなく、これらは画面ショットがメインで文章はおまけで、様式もおおむね決まっていました。なので、真っ白なWordファイル(当時はほぼWordで書いていました)に自由に書けといわれると、どうしたらいいのかわからないのです。少ないながら定型文を数パターン身に付け、図版を多用することで切り抜けられるようになりました。今でも文章には苦手意識があって、私の原稿は文章が10行程度続いたら、必ず図が入ります(というか、文が出てこないときは、たいてい図を先に描き、あとから文章を付けています)。
なじみのあるアプリ操作図解(秀和さんの「はじめての」シリーズとか)以外では、自作パソコン本とゲームプログラミング本もよく書いていました。パソコンの部品の働きや、プログラムのデータ構造とかを、どういう図で表したらわかりやすいかを延々と練り直していました。これはかなりよい修行になったらしく、当時はお金が入るだけでしたが、リブロワークス時代には、ちょっとややこし目なテーマでも説明のパターンや図がすぐ思い浮かんで、パパっとと早書きできるようになっていました。
逆に悪いことは上で書いたこと以外の全部です。もともと夜型の傾向がありましたが、フリーランス時代に体内時計が完全にくるってしまい、今でも午前4時近くならないと眠くなりません。あと、ほとんど同じ人にしか会わない。同じ出版社にいた知り合いから仕事がもらえたし、年に4、5案件で食えるので、出会いを開拓する必然性がない。当時は編集的な声掛けのノウハウも持ってない。インプットが少ないのでネタも尽き、終盤は自分が書く文章にも飽きはじめていました(編集するときは、自分に飽きてるぐらいがちょうどよかったりするんですけれども)。
最大の問題は方針や目標がなかったことです。食えてはいたし、「自分で好きに原稿を書く」という目標はすぐに達成できてしまったので、「もうちょっと頑張って稼ごう」とか、「次はこのジャンルに進出しよう」といった大きな目標を持つ動機が弱かったのです。
よく、フリーランスは「一人で作業員と営業と会計もしないといけない」といいますが、より重要なのは社長や経営戦略部にもなる必要があることです。作業員と営業と会計だけだと、延々と同じことをやるしかない状態に落ち込んでしまうのです。一時はよかったとしても、そのまま業界が冷え込んだら、どうにもならなくなっちゃいますよね。まぁ、そういうことも含めて、あまりいい思い出がないなーという感想です。
そうして悶々と原稿を書いていたところに、出版社勤めでクライアントの一人だった小山から「編プロ作りません?」と誘われて、旧リブロワークスを立ち上げます。迷う余地はゼロでした。
リブロワークスから先は、まだ現在進行中なので総括するにも差しさわりがありますから、昔話は今回でひとまず完了です。
フリーランスはやらないほうがいい、ということはないです。サラリーマンでは得られない経験(特に支払いの重要さ)が身に付きますし、修行に専念できるのは確かです。ただ、うまく行ってないと感じたら短期で切り上げて会社に戻れるよう、元気なうちにやったほうがいいんじゃないかなと個人的には思いますね。とはいえ、一番体力がある30代のうちの6年間を修行に使ってよかったのか? 2、3年で切り上げるべきだったのでは?とは時々思います。